文化・芸術

ときどきスケッチ(小西真奈美)

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ときどき、気が向いたときに色鉛筆でスケッチをします。

昔、桑沢の学生だったころは、毎日のように鉛筆デッサンをしていたので、デッサン力が落ちてないか確認するのが目的。

紙は、A3コピー用紙のウラ。(エコでしょう!)

色鉛筆は、べロールのカリスマカラーが最近のお気に入り。

おもに、90年代のVOGUE ITAlIAなどを見ながら、30分程で描き上げます。

やはり、スパーモデルで育った世代なので…。

でも、小西真奈美さんは以前からファン」だったので、一度描いてみたかった。

彼女の透明感が上手く表現できているかな…? (剛)


小西真奈美オフィシャルサイト


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建築家のお名前

そもそもの始まりは、ミースとカーンだった。
この近代建築における二大巨匠が、実は同じ名前だということにビックリしたのだ。
ミースは、「Ludwig Mies van der Rohe」、日本語では「ルードヴィヒ・ミース・ファン・デル・ローエ」で、通称「ミース」と呼ばれている。
一方のカーンは、「Louis Isadore Kahn」、同じく日本語では「ルイ・イサドア・カーン」で、こちらも同じく「カーン」でとおっている。
ここで注目していただきたいのは、ミースとカーンではなく、ルードヴィヒとルイ。
このルードヴィヒとルイという名前、日本語で書くと全然関係のない名前のようだが、もとはゲルマンが由来の同じ系列の名前だったのだ。
この二つの名前は、5~6世紀のフランク王国の創建者であるメロヴィング王朝のClovis(クロヴィス、高名な戦士の意味)が変化した名で、ルードヴィヒはドイツ、ルイはフランスでそれぞれポピュラーな名前だ。
ちなみに、カーンがルイではなく「ルイス」とよく綴られているのは、カーンが主にアメリカで活躍した建築家なので、英語的な読み方としたのではないか。
そこで、ミースやカーンの他にも、この「ルイス」系の名前を探してみると、これが結構いるのです。

●ルイス系
Louis Henry Sullivan(ルイス・ヘンリー・サリヴァン)
Luis Barragan(ルイス・バラガン)
Ludwig Karl Hilberseimer(ルードヴィヒ・カール・ヒルベルザイマー)
Ludwig Wittgenstein(ルードヴィヒ・ヴィトゲンシュタイン)

さらに、いろいろ調べてみると、

●リチャード系
Richard Buckminster Fuller(リチャード・バックミンスター・フラー)
Richard Josef Neutra(リチャード・ジョゼフ・ノイトラ)
Richard Rogers(リチャード・ロジャース)
Richard Meier(リチャード・マイヤー)
Ricardo Legorreta(リカルド・レゴレッタ)
Ricardo Levi Bofill(リカルド・L・ボフィル)

●チャールズ系
Charles Rennie Mackintosh(チャールズ・レニー・マッキントッシュ)
Charles Edouard Jeanneret(シャルル・エデュアール・ジャンヌレ)→Le Corbusier(ル・コルビュジェ)
Carlo Scarpa(カルロ・スカルパ)
Charles Correa(チャールズ・コレア)
Charles Eames(チャールズ・イームズ)
Charles Gwathmey(チャールズ・グワスミー)
Charles Willard Moore(チャールズ・W・ムーア)

●ピーター系
Peter Behrens(ペーター・ベーレンス)
Pierre Chareau(ピエール・シャロー)
Pier Luigi Nervi(ピエール・ルイジ・ネルヴィ)
Peter Frederic Chester Cook(ピーター・フレデリック・チェスター・クック)
Peter Eisenman(ピーター・アイゼンマン)
Pierre Koenig(ピエール・コーニッグ)
Peter Zumthor(ピーター・ズントー)
Peter Rice(ピーター・ライス)

●ジョン系
Jean Prouve(ジャン・プルーヴェ)
Giovanni Ponti(ジョバンニ(ジオ)・ポンティ)
Jean Nouvel(ジャン・ヌーヴェル)
John Pawson(ジョン・ポーソン)
Hans Hollein(ハンス・ホライン)

などなど。
まったくデザインとは関係ないが、こおいうおバカなことを調べるのも結構楽しいですよ。

怪しい人名辞典

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COBRA SPEAKER(コブラ スピーカー)-その1

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 僕の在学していた桑沢デザイン研究所の卒展は、今はどうだかわかりませんが、90年当時は「ラフォーレ原宿」の最上階で開催されていました。今思い返してみると、この卒展に出展されることが、この頃の僕にとっての大きな目標だったと思います。
 僕は高校生の時、工業高校の電子科に通っていましたが、あるとき「クルマノデザイン」がしたいと思い立ってしまいました。別に電気系の学問が苦手だったという訳ではないですが、このままカタチのない「デンシ」の世界に飛び込んでゆく踏ん切りが、どうしてもつかなかったからです。とはいったものの、どうしたら良いか見当もつかなかったので、親父に相談してみると、「渋谷の桑沢デザイン研究所が、デザインを学ぶには最高の学校だ。」と言うので、「ヨシソコヲメザシテミッカ」となったのでした。とりあえず当面の目標が出来た僕は、折りよく開催中の桑沢デザイン研究所の卒展に、のこのこと出かけていきました。
 そこで目にしたものは、当時高二の僕にとっては、カルチャーショック以上のものでした。だって、ファッションショーはやるわ、実物大のバイクのモデルがあるわ、ちゃんとレタリングされたポスターやブックデザインが展示されているわ。ヤローばっかりの薄汚い工業高校しか知らない高校生にとっては、すべてがキラキラと輝いて見えるのでした。そして、会場はラフォーレ原宿。僕の心の中に、なんとかこの卒展に出展したいという思いが、芽生えてしまったのです。
 その後、デッサンの夏期講習に通ったり、平面構成の課題を描く為、カラスグチに絵の具を指す練習をしたりして、受験勉強をしていましたが、目指すインダストリアルデザイン科には、一次、二次試験とも見事玉砕してしまいました。ここでさすがに慌てた僕は、最後のチャンス、夜間のプロダクトデザイン科を受験したところ、なんとか補欠で滑り込むことが出来、晴れて桑沢デザイン研究所の学生におさまったのでした。(剛)

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